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青年、小林多喜二

“小説なんぞもう書かなくていい。日本一の小説家だなんて言われなくてもいい。
朝晩一緒におまんま食べて、冗談ばしゃべって、蓄音機の浪花節でも聞いて、みんなでぐっすり眠りたい”
小林多喜二の母の目線で書かれた小説、『母』(三浦綾子)の一節だ。

大館に生まれた小林多喜二。彼は資本主義の横暴に抵抗する群衆を描いた作家であり、そして当然ながら一人の青年でもあった。モノマネが得意で話好き、少し不器用だが心のやさしい青年だ。貧農に生まれ、苦学の末に銀行員になると、初給料の半分で弟の三吾にヴァイオリンを買ってあげたという。たったの二間の部屋で、多喜二が小説を書く傍で三吾がヴァイオリンを弾く。しかし、多喜二はつっかえながら練習する三吾を一度もうるさがりはしなかった。それどころか、毎朝パンをこねるにも「三吾の指はヴァイオリニストの指だから」と決してやらせず、自分でこねてから仕事へ向かった。

多喜二には明るい家族や語り合う友人、一途に愛する人がいた。さらに当時のエリートである銀行員になり仕事ぶりも優秀だったから、苦労をかさねて貧しさから這い上がった彼には約束された未来があるはずだった。しかし、彼は共産党に入党後仕事の合間を縫って小説を書き、やがて地下活動の末に特高警察に捕まって激しい拷問により死亡する。29歳の若さだった。貧しい者の痛みや不自由を知っていたからこそ、そこから這い出てもなお、闘わずにはいられなかったのだろう。

後年、三吾が兄の思い出を語っている。
「地下活動している兄を訪ねたときに、ふたりでベートーヴェンを聴きました。ヴァイオリン協奏曲です。
その第一楽章のクライマックスで泣いていた兄の姿が忘れられません」

2008年、約80年の時を経て多喜二の代表作『蟹工船』が若者の間でベストセラーとなった。「格差社会」や「派遣切り」が話題になった年だ。『蟹工船』が流行る社会は不幸な気もするが、やはり何度も立ち上がる群衆の姿には多喜二の魂がこもっており勇気づけられる。自由のための闘いはかたちを変えていつの時代もあるはずだ。命を懸けて思想と覚悟を示し続けた作家に、そして周りの人へ心を尽くして生きた一人の青年に改めて敬意を表したい。


小林多喜二生誕の地碑
「蟹工船」で知られるプロレタリア作家小林多喜二は、大館市下川沿の小作農家に生まれた。
生家は現在下川沿駅となっており、石碑がある。

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